西瓜は、わが国へは戦国末期の十六世紀頃オランダ人によって伝えられたとする説と、江戸時代前に中国から渡来したとする説がありますが、相方とも定かではありません。

しかし、わが国に入って三百年以上珍しい果物という程度で大衆化せず、瓜類では、むしろ”まくわ瓜”が一般的でした。大衆化しなかった理由は、当時の西瓜は今の半分くらいの小型で皮が黒く、赤肉で瓜臭く、あまりうまくなかったからといわれています。

西瓜が一般の人にも美味しいと認識されたのは、明治に入ってからでアメリカの優良品種を導入するとともに、改良が重ねられ、ついに奈良で大和西瓜ができるに至って夏の果物の王者として、広く食べられるようになったのです。大正時代のことだそうです。

その大和西瓜の当時の紹介文をみますと、「強健・農産で品質は最高。果実は大型で、重さ一貫500匁位、球形で淡緑色の地に緑色の網状線紋があり、皮は薄く、三~四分厚さで、果肉は淡い鮮紅色、質は柔軟で、繊維がほとんどなく、多 ・甘美で風味上品で早生」とあり、この他の品種としては、「甘露西瓜」、中国原産の「嘉實西瓜」、米国原産の「アイスクリーム」、同じく「マウンテンスウィート」などがあり、果肉の黄色い「黄西瓜」と呼ばれるのは、ロシア原産のスウィート・サイベリアンの改良種とされ、変わったところでは長ダ円体の大型で重さ二十キログラムにもなる、「黒部西瓜」はラトルスネイク種の改良種とのことです。

このように多種多様の品種があるのが西瓜の特徴ですが、現在の産地としては鳥取、福井、千葉など砂地の多い地域が代表的産地として挙げられるようです。

西瓜は栽培した畑に翌年も植えると生育が悪く、収穫量は減少します。これを「いや地」と言いますが、根菜類、果菜類にはこんな傾向が多いそうで、栽培する農家は毎年畑を変える必要があります。

しかし西瓜の場合は、いや地の年数が長いところから、代替えの畑もそう多くありません。そこで考えられたのが、カボチャの根につぎ木をする栽培方法です。瓜科の中でも南瓜(カボチャ)は、いや地は無いのが特徴で、これを利用し、今では西瓜はすべて苗の双葉の時代に芽先を切って、それをカボチャの芽を除いた所へ接ぎ木して苗を育て、これを連年同じ畑に植えています。

近年では台木にする作物も、ユウガオなども使われて安定した生育が望めるようになりました。この方法は、胡瓜、白瓜、メロンにも同様に使われているそうです。

暑い夏は西瓜の当り年

暑い日照りの続く夏は西瓜の当り年です。さしずめ梅雨が短く、雨の少ない年は、西瓜の故郷は炎熱のアフリカ、カラハリ砂漠であることを思えば納得がいきます。

西瓜は一年生の地面を這うつる草で、西瓜の栽培には高温乾燥が条件で、土壌は排水の良い砂土、砂壌土が良く、粘土質の場所での栽培は、大きくはなるものの成熟が遅く、従って品質は悪くなるそうです。

親づるが伸び始めてから間もなく、各葉の付け根から子づるが出て、それに一番果がなります。雌雄異花ですが、品種によっては雌しべ、雄しべを備える完全花をつけるものもあります。ミツバチなどによる虫媒体で、早朝に咲いて昼頃には受精能力を失い、開化三十日くらいで熟します。